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zoom RSS 六甲山系: 午後からの散歩

<<   作成日時 : 2016/01/17 11:51   >>

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先々週の7日に関空を出発してゴルフ仲間とチェンマイへ、8日〜11日の4日間で約8万歩歩きましたが、比較的平坦な歩きですから堪えませんでしたが、深夜便での帰国と夏国から冬場に戻り2日間ほど体調が今一でしたが、そろそろ歩かなければと思い、散歩がてらに低山歩き。

山歩記:2016年1月15日(金) 晴れ 所要時間 約4時間20分 20,396歩

行程:自宅13:30→栂尾山への階段前→高倉山(おらが山で約200m)→旗振山(253m)→鉢伏山→須磨浦公園内を歩き→安徳帝内裏跡伝説地→義経道を登り→高倉山→栂尾山(274m)から瀬戸内海に沈む夕日→自宅17:50

高倉台住宅から324段の階段を登ると高倉山(おらが山)です、昔の高倉山は標高291mでしたがポートアイランド等の埋め立ての為、削られて現在は約200mになっており、地元の人々は通称おらが山と呼ばれて毎日登山をされています。山頂には広場もあり、360度の眺望と子供達やハイカーの休憩場所にもなっている。 今ここから空を見上げると飛行機雲があり海に墜落して行くように見えるがこれぞ地球が丸い証明でもある。
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高倉山から旗振山に向かって尾根を歩いていると左右にはウバメガシのオンパレード。
九州、四国、本州伊豆半島までの海岸のごく近くにだけ自生する常緑広葉樹で、もし 内陸部でこの木が見つかると、昔はその付近まで海岸が入りこんでいた証しだそうです。 この木で焼いた木炭は備長炭と言い、とても硬く、立ち消えせず、最高級の木炭になります。 炭焼きの事を思うと、中学時代に別れた友が思い浮かぶ、彼は炭焼き人として日本全国を・・・で連絡は出来ないが、今どうしているのだろうか? 幼い頃の彼の顔が浮かんでくる。
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旗振山(標高253m)に来ました、只今14時45分で自宅から1時間15分、普通ならば1時間以内ですが、ゆっくりと歩いたから。 山名の字のごとく、江戸中期元禄時代から電信が普及される大正初期まで畳1枚大の大きな旗を振って大阪堂島の米相場を加古川、岡山に伝達していた中継場所で有った事から「ハタフリ山」と呼ばれている。
また此処には旗振茶屋があり、毎日登山者や一般ハイカー、観光客にも利用されている。創業は1931年3月ですから今から85年前、その後 阪神淡路大震災で倒壊し、1997年5月に再建されました。
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旗振山から尾根伝いに少し下れば鉢伏山があり、其処には須磨展望閣が、上階の喫茶店に入れば回転床で1周が何分間かは忘れたがコーヒー休憩しながら周りの景色を楽しめます。また1階には珍しく昔のジュークボックスがあり、全てレコードで50年ほどの前からの歌謡曲がリクエスト出来ます。
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此の少し下には須磨浦ロープウェイ駅(鉢伏山上駅)があり、観光客も此処まで来られて楽しんでおられます。
眼下には須磨海釣り公園が、沖合400mに突出た4つの釣台では四季を通じて色々な釣りが楽しめます。
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此処から須磨浦の海まで下山して須磨浦公園内を散策しながら、みどりの塔に来ました。此処で思い出されるのが21年前の大震災です。此の丸い地球義の石も台から落下しました。
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みどりの塔の近くには源平史跡 戦いの浜碑 があります。
一の谷は鉄拐山と高倉山との間から流れ出た渓流に沿う地域で一の谷から西一帯の海岸は源平の戦いにおける『一の谷の合戦』の舞台となったことから『戦いの浜』と言われている。 一の谷川は上流で東西2つにわかれ、東の一の谷川本流に対し、西の支流の谷を「赤旗の谷」といい、平家の赤旗で満ちていた谷で、毎年 決戦のあった2月7日の夜明けには、軍馬のいななく声が聞こえると言われているそうです。
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一の谷の合戦は子供の頃からよく耳にしていましたし、また鹿しか通らぬ急坂を義経一行が攻め降りた場所とは、いったいどの様なのか? 今日は時間もあるのでその様な場所を歩いてみようと思い、安徳帝内裏跡伝説地へ来ました。 
安徳天皇は、平清盛の娘の建礼門院徳子を母として生まれた悲劇の幼帝、1185年(8歳)壇ノ浦の戦いで平家滅亡と共に祖母二位尼に抱かれて入水したと伝えられいる。この伝説地には、一時内裏がおかれたとの言い伝えがあり、安徳天皇の冥福を祈って安徳宮がまつられており、江戸時代には松尾芭蕉も訪れている。
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ではこれから須磨一の谷(坂落とし)通称 義経道を歩いてみました。
民家の中を通り抜け、山道に入ると急斜面の階段、
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少し登っただけですが須磨海岸が、此の海岸の西側一帯が一の谷の海岸沿いと思う。
今登っている左側(西側)の谷が現在では二ノ谷と言われてますが、昔は此の辺り一帯を一の谷と言われていたのだと思います。
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その証拠に山道の左側に砂防ダムがあり谷に降りて行くと二ノ谷堰堤になっています。この堰堤は丁度1年前に完成しました。
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堰堤から山道に戻り尾根を登って行くと旗振山と鉄拐山の中間辺りに上がり、尾根を歩き高倉山(おらが山)に戻って来ました、時計を見ると4時半頃だ、この分では栂尾山から夕日を眺められると思い、栂尾山への階段351段を登り山頂へ、只今16時50分、此処で夕日が瀬戸内海に沈むのを見ようと展望台で待機。
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未だ明石海峡大橋の上にあり、只今16:57分で数分待たなければ(此の写真はズームではない)
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17時05分 ズーム写真
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同じく17時05分 更に拡大したズーム写真
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海に沈むところなのか、それとも雲に邪魔をされているのか、はっきりと解らないが、暗くならない内に栂尾山頂から下山し、自宅に到着する頃には薄暗くなっていました。 
近場の山歩きでしたが、何と20,396歩も歩いていました。 
週末は土曜日の明日しか天気が良くないので、久しぶりに表六甲から長峰山・摩耶山へ行ってきます。



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