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zoom RSS 熊野古道:十津川温泉〜熊野本宮大社(小辺路)を歩く三羽の八咫烏

<<   作成日時 : 2016/04/02 12:43   >>

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 今年71〜70歳を迎える学友と熊野古道を歩くのは10年ぶりで大いに・語り・飲み・笑いの3日間でした。

山歩記: 2016年3月28(月)〜30日(水) 天気予報を確認しての事ですが3日間とも晴天

3月28日(月)の行程 : 近鉄・大和八木駅前から奈良交通のバス11:45発→谷瀬の吊橋で20分の休憩→十津川温泉で15分の休憩→十津川温泉のホテル昴バス停16:40頃到着→チェックインして夕食までの間になまった体をほぐす為、ホテルから果無集落に向かって小辺路の急な登りを歩き汗を流し、温泉入浴して冷えたビール、酒を飲みながらの夕食、気が付けば同時刻に夕食をしていた他のグループもいなくなり、我々が最後までいた様でした。

3月29日(火)の行程 : ホテル昴(標高約200m)8:13→柳本橋(吊橋)8:16→登山口道標8:21→果無集落(約400m)8:43→天水田説明版9:14→観音堂(約800m)9:47〜9:54→果無峠(標高1114m)10:20〜10:24→三十丁石(約650m)11:13→七色分岐(約500m)→林道出合(約180m)12:18→(車道沿い歩き)→道の駅奥熊野ほんぐう(約100m)12:38〜13:19→中辺路に入り三軒茶屋跡(約180m)13:36→祓所王子→熊野本宮大社14:19 ・・・所要時間 6時間16分 歩行時間 5時間06分

昨夜は3人で楽しい酒を嗜み熟睡できるかと思ったが、3〜4時間の仮眠状態で深夜の2時頃に目覚めて寝られなく睡眠薬代わりに少し飲み、ウトウトと眠ったようだが6時前には起きて朝風呂に入り、朝食はたっぷりと腹に収め山歩きのモードにして8時13分ホテルをスタート、今日も快晴で寒くもなく山歩きには最高の気温だ。
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しばらく歩くと吊橋の柳本橋に来ましたが、以外と揺れるので私は好きではないが、何とか渡ったが皆さんより少し遅れる。(08:16分)
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登山口の道標があり、此処から急な登りに入るが前の二人の姿は見えない。(8:21)
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二人の姿を捕らえたが、体が熱くなって汗が出だしました。(8:23)
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急な登りの石畳道、二人 (山ちゃん と 行者姿で奥駈道を歩いている 玉ちゃん)に追いつけない。(8:33)
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眺望の良い場所に来ました、ベンチもあり休憩もできるが、仲間二人は休憩無用でドンドン歩き他のハイカーを追い抜く、我も20〜30mの距離を空けながら付いて行く。(8:37)
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標高約400mに位置する果無集落(にほんの里100選で昔茶屋を営んでいたという数軒の集落)まで登って来ました。只今8:43分ですからホテルスタートから丁度30分で確かにハイピッチだ。(参考までにホテルから此処までが約1.4qの急な登りで歩行時間が50分と登山マップに記載されている)
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果無集落の世界遺産記念碑で記念写真。(8:46)
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西国三十三観音(第28番観音)に見守られながら歩く。全部で33の観音があり果無峠を越えて車道のある八木尾バス停まで数えながら進むが、観音の間隔は等間隔でなさそうで、何を基準にしているのか自分は解らない。(9:01)
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急な登り坂を超えると天水田立札のある場所へ来ました。(9:15) 
案内版の説明によると、此の辺りはかっての水田跡で、ここから約300mの峠よりにあった 山口茶屋 の住人が雨水だけを頼りにして稲作したと言われている 天水田跡 だそうだ。
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天水田跡から数分後に山口茶屋跡に来ました、ここで初めて水分補給での休憩。(9:23〜9:26)
此の辺りには石垣が残っており、東側には屋敷林の杉の巨木が数本あり防風林だったようだ。
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標高約400mの果無集落から約1時間後ですが観音堂(標高約800m)に来ました。
果無峠越えで唯一の水場があり小休止。(9:47〜9:54)
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何回も文字にして、またかいなと思われるかもしれませんが急な登りがマタマタ続きますが、見晴らしの良い場所がありました。大峯奥駈道・釈迦岳(標高1800m)方面が一望出来ると登山マップに書かれているがどの山なのか? 多分遠くの霞んで見える山並みの何処かだろう。(10:04)
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果無峠(標高1114m)に来ました。(10:20〜10:24) ホテルをスタートしてから距離にして約5.5q、私の歩数計は8,633歩、標高差900mを所要時間で2時間7分、歩行時間で2時間ですから、流石 山男・やまちゃんのペースは早い。たまちゃんも少し遅れ、私は2分程遅れながら到着ですから、でも彼は我々の足に合わして多少はゆっくり歩いたのではないか、本人に確認すれど気遣って本心は言わないと思うが、山歩きの話をしていると斜度にも依るが普通の登山道ならば標高500mアップするごとに約50〜60分位と言っていた記憶がある。
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果無峠からは下り一辺倒で、足元が悪い所もありますが、この程度ならば歩きやすい山道です。(11:07)
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熊野川や本宮町を見下ろせる場所がありました(11:10)
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三十丁石がある所に来ました、時刻は11:13分で果無峠から約2.5qで49分経過している、一般ハイカーでも50分で来れるのに・・・下りになると気が抜けてペースダウンするのが登りに強い山ちゃんらしい。

その後、七色分岐(七色集落への分岐)を通り越し、林道出合を通過して国道168号線の八木尾バス停に12:18分下山しました。
果無峠(1114m)から国道までの距離は約5・4qで標高差は約1000m を1時間54分かかっていますから、登りのペースから比べれば下りは遅く、一般ハイカーの1時間47分よりも遅かった。
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国道沿いの歩道を歩いていると道の駅奥熊野ほんぐう が有り、レストランで昼食休憩予定であったが、何と改修工事でお休みでしたが、道の駅前に農協のミニスーパーが有り、弁当購入して食事休憩を12:38〜13:19分まで。

食後も国道沿いを歩き三里念法寺を通り越し暫く進むと国道から別れて林道に入り中辺路ルートに合流、其処には三軒茶屋跡と九鬼ヶ口関所跡がありました。(13:36)
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今歩いている古道は中辺路 (熊野古道でも一番の人気ルートとしては滝尻王子〜近露王子〜発心門王子〜三軒茶屋跡で小辺路と合流〜熊野本宮大社までの約37q) に合流して本宮大社を目指すのですが、中辺路を歩いていると、よく見かけるのが 熊野古道は『蘇生』 ・・「生き返る」 森や道である。
同じ言葉でも意味が違うが「行き帰る」・・と解釈すれば往復出来た、つまり全て道中無事だった証拠とも自分で勝手に思っている。 昔の旅人は道中で行き倒れ多くの死人もあったらしくその霊を弔っての地蔵が沢山有ります。 
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歩いていると見晴らし台への分岐がありその方へ進むと、大斎原(おおゆのはら)の旧社地の大きな鳥居が見えます。(13:58から数分休憩)

此処で初めて外国からの訪問者に会いました。彼はオランダから息子2人を連れての訪日。会話していると奥さんはフランス人だと。 中辺路の滝尻王子からスタートして近露で1泊、また湯峰温泉でも1泊したと言ってました。お世辞も多少あるでしょうが日本最高と言ってくれてました。
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熊野本宮大社の裏側に当たる鳥居をくぐり入りました、勿論 本殿に近いです。(14:19)
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本殿の傍に黒い郵便ポストが有りました。以前来た時には無かったように思いますが、数年前に設置されたのでしょうか。
黒ポスト : この八咫ポストは通常に投函でき、毎日収集致します。大切な人への想いを、今の自分の想いをここ熊野から旅立たせて下さい・・・ハガキは社務所にお申し出ください、記念の八咫スタンプを押印します・・・と案内版。(14:23)
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本殿でお参りを済ませ、3人で記念撮影・・・
『 新たなる自分自身の出発(たびだち)を熊野で祈りて光輝く 』 
『 神を父 仏を母にいただきて 熊野より興さむ 出発(たびだち)の時 』
  さぁ〜これからが新たなる人生の出発だ〜残された命 一概に何年とは言い難いが10〜20年ぐらいは元気で生かされば幸せですが・・・
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本宮大社の正面の鳥居の近くにバス停があり、我々は川湯温泉・渡瀬温泉・湯峰温泉を経由してJR田辺駅まで行く龍神バスに乗り今宵の温泉宿である湯峰温泉へ向かいますがバス発車時刻が15:10なのでこの付近で時間を過ごしました。(14:34)
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湯峰温泉に到着し温泉宿に入る前に90℃の源泉が噴き出している場所で温泉卵を、約10分程で出来上がります。(15:41)
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温泉卵が出来上がるまで隣の壺湯や付近を散策(15:44)
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玄峰塔がありましたが、この時点では何も解らず、ただ単なる誰かの塔だとしか、興味もなかったのですが、翌日に知ったので、此処で書かせて頂きますと:

山本玄峰 (1866年3月14日生まれ〜1961年6月3日没)は湯峰温泉の旅館で現在の あづまや旅館 で生まれました、悲しいかな何かの理由で、生まれた旅館の前に捨てられていた乳児、それを渡瀬の岡本善蔵・とみえ夫妻が拾い、養子にして岡本芳吉と名付けた。・・・話が長くなるので省略しますが、ネットで検索して見て下さい。 また此処までならば、まだ興味も持たなかったのですが、その後の彼の人生、また日本国に尽くされた事などを知り、自分自身が知らなかった事で恥ずかしかった。

戦後70年を過ぎ、我々世代では誰しも知っている 1945年8月15日 終戦の詔勅にある 『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び ・・・』 の文言を進言したり、天皇を国家の「象徴」と定義する(象徴天皇制)よう発案するなど、鈴木貫太郎首相などの相談役などを務めた。 また彼の葬儀には外遊中の池田勇人首相の名代として大平正芳官房長官などが列席した・・・そのような人物だったと初めて知りました。
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今から150年も前ですが、丁度この あづまや旅館 の前に 玄峯(法名)氏が捨てられていた、昔の名残があるのか解りませんが、撮影して見ました。

また此の旅館の温泉にも入りましたが、皇太子殿下も訪れられたと知りました。
またインターネットで調べて来られたと思うが外国人(ヨーロッパから)も泊まっていました。
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我々はこの あづまや旅館 の民宿あづまや で宿泊し、温泉・露天風呂は あづまや旅館を利用しました。
夕食は何時ものごとく、ビール・熱燗で食欲旺盛で何度となくお代わり・・・よく飲み・食べました。

この様な民宿ですが、湯峰温泉は人気もあり、海外(殆どがヨーロッパでアジア系は殆どいない)からの熊野古道歩きを楽しんでおられる、今宵もドイツ人(男性)と茨城出身の奥さん夫婦と食堂で一緒だったので、ついつい会話が弾みました。

さて 明日は此処から大日越えを歩き大斎原(おおゆのはら)・旧社地を経由して熊野本宮大社前まで歩きます。

過去の熊野古道歩き記事: 
2009年 学友と http://wakasa-15th.at.webry.info/200901/article_11.html
2010年 中辺路・滝尻王子から継桜王子〜のなか山荘泊 http://wakasa-15th.at.webry.info/201004/article_1.html
2010年 中辺路・継桜王子〜発心門王子 http://wakasa-15th.at.webry.info/201004/article_2.html
2010年 中辺路・発心門王子〜熊野本宮大社 http://wakasa-15th.at.webry.info/201004/article_3.html
2010年 大斎原(旧社地)〜熊野早玉大社〜熊野那智大社・青岸渡寺 http://wakasa-15th.at.webry.info/201004/article_4.html
2010年 小辺路・小雲取越〜大雲取越〜熊野那智大社など http://wakasa-15th.at.webry.info/201004/article_6.html


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